私の魂が喜んだ映画

はじめまして。魂を動かされた映画や動画を勢いで書くブログです。

「愛のタリオ」

なぜか目についた「愛のタリオ」観ました。

元々韓国ドラマや映画は大好きなんです、でもこの作品は知らなかったですね。

 

「監視者たち」「無垢なる証人」で端正な顔立ちとシュッとした体躯でスーツを着こなしスマートの極みみたいなチョン・ウソン氏。

そして「キル・ボクスン」「配達人」でもカッコよかったイ・ソヨン氏。

 

2人が主演です。

体当たりのラブシーン(絶対全部脱いどる!)という映画なんだけどあまり評判は良くない。ちょっとB級扱いな感じなんですよね。

私は嫌いじゃないんですけど・・・。

仕方ない部分も最後に書いておきますねー。

 

 

ベストセラー作家、かつ大都会のソウルの大学に勤めるハッキュ。

彼はスキャンダルのためにソウルを追われ片田舎の大学へ。

元々ハッキュは女性関係が派手で妻も娘もいるのだが、嫉妬の挙句に鬱で苦しむ妻を愛してはいるものの顧みることはしません。娘のことも愛しています。

単身、片田舎で講師をしているハッキュは純粋な少女ドクと出会います。

彼女の母は聾者です。互いに大切にしあう母と娘。

でも若いドクは小さな遊園地で切符切りをするという平凡でつまらない生活に実は辟易としていました。

そんな時に目の前に現れたスマートなハッキュ。

彼の無料の市民講義を受けたりするうちに二人は惹かれ合い愛し合うようになります。

ところが突然ハッキュにソウルの大学から戻って良いという許可が出ます。

すっかり二人の愛の生活に没頭していたドクは寝耳に水。さらには彼女は妊娠していたのです。

そんなドクをハッキュはあっさりと見捨て、病院に連れて行き堕胎させ去っていきます。

 

ソウルまで彼を追ってきたドクに話し合おうとドクの家の近くまで来たハッキュ。

しかし話し合っている間に失火、ドクの不始末から彼女の愛する母も、家も焼けてしまいます。

ハッキュは消防を呼ぶも母を助けようと家に戻るドクを見捨てて去ってしまうのです。

 

ソウルに戻って大学で教鞭を取りながらも作家としては思うような作品が書けず苦しむハッキュは相変わらず女性関係、そして賭博にさらに夢中になっていきます。

そんな彼にとうとう今までのツケが回って来たかのような出来事が・・・。

 

この先ネタバレです。

 

 

彼は酒にも溺れ糖尿病に侵され失明の危機を迎えていました。

そしてうつ病だった妻も自殺、娘もどんどん悪の道に進んでいきます。

病気は進行し、ほとんど目が見えない彼の前にセジョンという女性が現れ、娘と彼に献身的に尽くしてくれます。

しかしセジョンはドクだったのです。復讐をするために・・・。

 

ハッキュの娘のチョンも母親の代わりのように彼女をしたい、ハッキュも彼女に眼科への付き添いや身辺の世話まですっかり依存していきます。

 

ある日失明への不安から賭博に行きたいと言い出すハッキュ。

ドクは彼を連れて賭博場に行き、結局目の手術代までも注ぎ込んで大負けをしてしまったため、多額の借金をヤクザに背負わされることになってしまうハッキュ。

ところがそのヤクザもドク(セジョン)の雇った人間、眼科医も実はドクに雇われて治療どころか悪化させるのに加担していたのです。

目の見えないハッキュは娘をヤクザに売り渡すという契約を交わされてしまいます。

娘のチョンもハッキュもドクにまんまと嵌められたのです・・・。チョンは攫われ日本へと船で運ばれていきます。

 

娘を失い悲しみに打ちひしがれるハッキュにわざとわかるように眼科医を体を重ねるドク。

しかしハッキュは苦しみながらもドクにそばにいて欲しいと思うのです。

ドクも彼を見捨てることはなく、でも腐ったものを食べさせたりと冷たくあたりながらもなぜか世話を続けています。そんな爛れた生活の中、公園を散歩していると現れたのはチョンでした。

死んだと思っていたチョンはドクに昔のように甘えます。

しかし実はチョンもドクへの復讐を果たそうと日本のヤクザに取り入って戻ってきたのです。

なんと闇医者を使いドクの角膜をハッキュに移植するという段取りになっていたのです。

拘束され手術される直前にハッキュはドクに愛していると告げます。

 

次に目を開けた時、ハッキュの目に映るのは視力を失ったドクでした。

以前とは立場が逆転した二人は美しい湖のほとりのベンチに静かに座るのでした。

 

タリオというのは意味としては

「被害者が受けたのと同じ罰を加害者にも与える」というラテン語のようです。

 

映画の最初に書かれている物語では

チョンという娘がハッキュという目の見えない父親のために米300石と引き換えに身体を売った。

そしてこの物語にはペンドクという継母が登場する。

ハッキュの目は見えないままだったがペンドクは離れようとしなかった。

なぜ彼女はそばに居続けたのだろうか・・・。

 

となっているのですよ。

本筋そのままなんですよね・・もっと辿っていくと昔話にたどり着きます。

同じく目の見えない父親のために身を売る娘、神へ「父の目が見えるように」と祈るための米代を稼ぐために身を売ります。神はその父親の目を見えるようにしてやりました。

 

ちょっと意味合いが変わってきますね・・なんだかわからないような。

すごく混乱します。

だけど結局のところドクは復讐を果たし去っていっても良かったのですよね。そばに居続けた。

それってでもなんかわかるような気がします。

良い悪いは別として共依存

ドクは憎みながらもずっとハッキュを愛し続けていて、例え角膜を移植して自分が犠牲になっても。。

どんな形でもいいからハッキュのそばにいたい、ハッキュを自分だけのものに・・という愛し方だったのではないでしょうか。

ものすごく憎むという事は裏返すとその存在を強く意識し続けているということ。

どうでもいい相手ならば忘れてしまう、ただの通過点です。

でもそうじゃなく、いつも心のどこかにいる、ましてや復讐となれば人生すら賭けることに。共に死のうとも・・

これが「タリオ」なんではないでしょうかね。同じ罰を与える、そのくらい愛しているということと私は解釈しました。

 

どうしてもちょっと気になるのは娘のチョンですね。

一体どうやって日本のヤクザに取り入ったのか、船に乗せられ海を渡ったところまでは描写があるんですが、ある日いきなり派手になって元気よくヤクザの爺さんを連れて意気揚々と現れてしまう。

ドクめ、目には目を(まさに)歯には歯をだ、復讐ならお前の角膜をー!!っていうことかなあ?

復讐にひねりが欲しかったのか、それとも昔話に準えることにこだわりすぎたのか。

私は娘の復讐ももっと強く描くか、いっそいないほうがシンプルだったのでは?と勝手ながら思ってしまいましたけれどね。ハッキュを絶望に落とすにはいなくなるだけでも十分のように思ったので。

 

なんか気になってしまったので見ましたがR18になってます。でもエロティックさはあまり感じなかったですねー。

あまりに主演二人の肉体が美しかったからかもしれないです。

途中で眠くなることもなく見続けてしまいました。

ああ、演歌だ、艶歌だー!!って思いながらね。